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   やまのい和則の
     「軽老の国」から「敬老の国」へ

     - Yamanoi Kazunori Mail Magazine -

            第85号(2000/12/18)

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 メールマガジンの読者の皆さん、こんにちは。
20世紀もあと2週間ですね。

私は、今年最後の「やまのいニュース」の発送。
また、後日報告しますが、ある高齢者福祉のプロジェクトの仕事に
とりかかっています。

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 忘年会シーズンですが、今年は選挙の年で、私は。本当に多くの
方にお世話になりました。

どの会に行っても、感謝、感謝です。

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 16日土曜日は、午前から午後にかけて、京都南部・民主党議員
団会議と政策研修会。
来年の参議院選挙への取り組みを議論。
地元宇治市の日産車体の工場の縮小問題、
南京都信用金庫の破綻の問題について勉強した。

 玉置衆議院議員が、公務で欠席であったので、参加した10数名
の自治体議員さんに、私が民主党中央情勢を報告することになり、
緊張しました。というのも、私も民主党中央のすべての動きを知っ
ているわけではないからです。

しかし、それでは何のための国会議員か?ということになるので、
今後は福祉以外のことも、民主党中央情勢は、地元に報告できるよ
うにきっちりアンテナをはっておかねばならないと痛感しました。

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 また、宇治の日産車体の工場が2000人程であった従業員が200
人程に縮小され、数百人の方が地元で仕事を探しておられます。
その方々に何とか新しい仕事を斡旋できないかという話でした。

また、宇治に本店がある南京都信用金庫が破綻し、多くの方が職を
失い、また、連鎖で多くの会社が整理回収機構に送られます。

 その意味では、私の住む宇治市は、不況の中の大不況で苦しんで
います。そのような時期に自分が国会議員をさせてもらっているこ
との責任の重さを痛感します。

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 17日日曜日も2つ会合に出席しました。
私は、今年一年お世話になったお礼を言い、「矢切の渡し」と
「乾杯」をカラオケで参加者とともに熱唱(?)しました。

「当選できて良かったね!」と多くの方が喜んで下さいます。
本当に有難いことです。
でも、先ほど述べたように失業は増え、景気は一向に回復しません。

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私は、議員にはならせて頂いたものの、いまの不景気に、何ら有効
な手立ての打てない政治に、責任を感じます。

自分が議員になれたことは嬉しいものの、本当にそのことによって
少しでも社会が良くなっているのか、と自問自答させられます。

この不景気の中、税金から多くの歳費などを私は頂いているのです
から。

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 また、最近会合に出席すると決まって相談を受けるのが、
「息子の就職がまだ決まってない」
「娘の就職が決まってない」
「夫がリストラにあって職を失った」という話。本当に多いです。

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 さらに、福祉に関しては、
「デイサービスセンターの運営法人が見つからない」
「グループホームの運営法人が見つからない」との話も聞きました。

介護保険の中で、特にグループホームや、デイサービスセンターは
介護報酬が低い。
そのため、やり手があまり見つからないのです。
なんだか悲しい話です。
サービスを待ち望んでいる人は多いのに。

やはり、介護報酬の引き上げが必要です。

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 18日月曜日は、午前中は、ホームヘルプの事業者の方の相談に
乗る。

午後は、グループホームについての会合。
そして、連合大阪でホームレスの問題についてのヒヤリング。
晩は、玉置衆議院議員の集会に出席させてもらった。

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 ホームレス問題については、私は民主党の「ホームレス問題対策
プロジェクトチーム」の事務局次長なので、お呼びがかかった。

先週、このプロジェクトチームは、厚生大臣にホームレス問題につ
いての緊急申し入れをしたが、来年の通常国会では、超党派でホー
ムレスについての、議員立法を目指している。

特に、大阪には1万人以上のホームレスの方がいる。
まず、就労と住まいの確保。
そして、必要な人には生活保護の適用。
ただし、甘すぎると「不公平」とまわりから批判が出てくる。

リストラの風が吹くなか、ホームレスの方たちに対する風当たりも
冷たい。

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それにしても、参ったのは私の知り合いからの一言。
「京都南部にはホームレスなんかほとんどおらんぞ。せっかく山井
さんを応援して当選してもらったんだから、もっと地元のためにな
る仕事をしろ。地元で仕事を求めて困ってる人が多いんだから、
ホームレス問題なんか他の議員に任せとけ!」

 確かに、どちらの問題がより深刻だとかは比較できません。
さらに、私の専門の高齢者福祉の仕事もたくさんあります。
すべて頑張りたいと思います。

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 長くなりますが、私はもう1つ今日書きたいことがあります。

それは、私が福祉に関心をもったきっかけです。

以下は、メールマガジンの「付録」みたいなものですので、お時間
のある方だけお読みください。

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 私は高校では勉強ばかりしていた「がり勉」の生徒でした。

高校3年の春、大学の入学試験が終わった日、帰り道にクラスメー
トとボーリングに行ったことを今でも覚えています。

ボーリングのあと、クラスメートの家に集まり、数人で晩遅くまで
語り明かしました。 

 3年間、ガリ勉をしていた仲間の集まりでした。
一人が言いました。
「俺、最近すごく嬉しかったことあってん。高校3年間ほとんど会
ったことがなかった中学校の時の友だちが、道で声かけてくれてん。
俺3年間、勉強ばっかりして、中学の友だちともほとんど会ってな
かったから、そんな俺を覚えてくれて、向こうから声かけてくれた
んが、めっちゃくちゃ嬉しかってん」。
そして、彼は言った。
「高校3年間、さびしかった」。

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 私の母校は、受験進学校。

そんな中でみんな大なり小なり、中学校までの友人との付き合いを
減らし、勉強してきた。

そんな似た境遇の仲間の集まりだったので、彼の話を聞いてみんな
がうなずいた。

私も彼と全く同じ思いだった。

私は高校時代丸坊主だったこともあり、中学時代の友だちと会うの
も格好悪かったが、それでも声をかけてもらえると無性に嬉しかっ
た。

自分のことを覚えていてもらえる、山井和則という人間の存在を覚
えていてもらえること自体が嬉しかった。

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 私も高校3年間を一言で言えば、「人恋しさ」であった。

勉強に明け暮れた3年間であったがゆえに、逆に、友だちのありが
たみや、人間の温かさ、人間は人間の助けなしには生きて生けない
ことを感じた。

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 そんな中で、私はこの高校で人生を決定づける出会いを経験した。

それはある親友である。
ここでは、「彼」と書く。
彼と私は3年間同じクラス。
彼は、化学が強く、英語が苦手であった。
私は工学部化学科を志望していながら、一番化学が苦手で、英語が
逆に得意であった。
席がいつも隣であった彼には、いつも化学を教えてもらい、私は彼
に英語を教えた。

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 彼こそが、私が人生の目標とする人物であった。
受験校であったせいか、高校3年ともなるとクラスの中で体調を壊
す友だちも出てきた。
入院しないまでも、しんどそうな顔で登校する友人も増えてきた。
私は恥ずかしながら、
「受験も近いから、他人のことなんか構ってられるか」と、利己的
に考え、弱っているクラスメートのことはあまり気にしなかった。

しかし、彼は違った。
弱ってしんどそうな顔をしているクラスメートに勉強を教えたり、
本当にやさしいのだ。
受験の日も迫り、自分自身が大学に通るかどうかわからないなかで、
人の世話ばかりして、「あほちゃうか」と、私は思った。

しかし、同時に彼は偉いなあ、真似できんなあ、とも思った。

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 人間、自分に余裕があるときには、困っている人を手伝うことはできる。

しかし、自分自身が切羽詰ったときに、人の世話なんかできるだろ
うか。

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 私の高校は私が丸坊主であったことでもわかるように、仏教の高
校であったが、私から見れば、彼は、「生きる菩薩」であり、
「生きるキリスト」のようなやさしい人間であった。

私自身、彼から化学を親身に教わった。

小柄な彼であったが、クラスのみんなから好かれ、愛されていた。

地味だが、輝いた人間であった。

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 受験が終わり、彼と私は幸運にも共に合格した。

しかし、私は入試が終わり、我に返り、それまでの自分を反省した。

自己嫌悪に陥った。自分の合格のためとはいえ、自分はまわりで困
っている友達にあまりにも冷たかったのではないか。

それに比べて彼は、いつも誰に対してもやさしく笑顔であった。

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 彼のような人間になることはできないだろうが、せめて一歩でも
彼に近づきたい。
彼のように、自分が苦しい時にでもまわりにやさしくなれる人間に
なりたい、そんな生き方がしたい。

それが私が福祉に関心を持ったきっかけだった。
そして、「人恋しさ」「寂しさ」を高校時代に経験したがゆえに、
「人間に接したい」「人間が好き」という性格になり、私は利己的
な自分を改造するために、私は大学に入学してすぐに、母子寮とい
う児童福祉施設でのボランティア活動を始めることになった。

そして、その活動に熱中し、その延長線上に今日の私がある。

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 今でも彼は私の人生の目標である。
しかし、残念ながら、彼はもうこの世にはいない。
偉人薄命というのだろうか。

私の心の中には、彼の生き方、彼の笑顔がずっと生き続けている。
           やまのい和則 拝

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