。☆〃。☆〃。☆〃。☆〃。☆〃。☆〃。☆〃。☆ やまのい和則の 「軽老の国」から「敬老の国」へ - Yamanoi Kazunori Mail Magazine - 第85号(2000/12/18) 。☆〃。☆〃。☆〃。☆〃。☆〃。☆〃。☆〃。☆ メールマガジンの読者の皆さん、こんにちは。 20世紀もあと2週間ですね。 私は、今年最後の「やまのいニュース」の発送。 また、後日報告しますが、ある高齢者福祉のプロジェクトの仕事に とりかかっています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 忘年会シーズンですが、今年は選挙の年で、私は。本当に多くの 方にお世話になりました。 どの会に行っても、感謝、感謝です。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 16日土曜日は、午前から午後にかけて、京都南部・民主党議員 団会議と政策研修会。 来年の参議院選挙への取り組みを議論。 地元宇治市の日産車体の工場の縮小問題、 南京都信用金庫の破綻の問題について勉強した。 玉置衆議院議員が、公務で欠席であったので、参加した10数名 の自治体議員さんに、私が民主党中央情勢を報告することになり、 緊張しました。というのも、私も民主党中央のすべての動きを知っ ているわけではないからです。 しかし、それでは何のための国会議員か?ということになるので、 今後は福祉以外のことも、民主党中央情勢は、地元に報告できるよ うにきっちりアンテナをはっておかねばならないと痛感しました。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ また、宇治の日産車体の工場が2000人程であった従業員が200 人程に縮小され、数百人の方が地元で仕事を探しておられます。 その方々に何とか新しい仕事を斡旋できないかという話でした。 また、宇治に本店がある南京都信用金庫が破綻し、多くの方が職を 失い、また、連鎖で多くの会社が整理回収機構に送られます。 その意味では、私の住む宇治市は、不況の中の大不況で苦しんで います。そのような時期に自分が国会議員をさせてもらっているこ との責任の重さを痛感します。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 17日日曜日も2つ会合に出席しました。 私は、今年一年お世話になったお礼を言い、「矢切の渡し」と 「乾杯」をカラオケで参加者とともに熱唱(?)しました。 「当選できて良かったね!」と多くの方が喜んで下さいます。 本当に有難いことです。 でも、先ほど述べたように失業は増え、景気は一向に回復しません。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 私は、議員にはならせて頂いたものの、いまの不景気に、何ら有効 な手立ての打てない政治に、責任を感じます。 自分が議員になれたことは嬉しいものの、本当にそのことによって 少しでも社会が良くなっているのか、と自問自答させられます。 この不景気の中、税金から多くの歳費などを私は頂いているのです から。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ また、最近会合に出席すると決まって相談を受けるのが、 「息子の就職がまだ決まってない」 「娘の就職が決まってない」 「夫がリストラにあって職を失った」という話。本当に多いです。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ さらに、福祉に関しては、 「デイサービスセンターの運営法人が見つからない」 「グループホームの運営法人が見つからない」との話も聞きました。 介護保険の中で、特にグループホームや、デイサービスセンターは 介護報酬が低い。 そのため、やり手があまり見つからないのです。 なんだか悲しい話です。 サービスを待ち望んでいる人は多いのに。 やはり、介護報酬の引き上げが必要です。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 18日月曜日は、午前中は、ホームヘルプの事業者の方の相談に 乗る。 午後は、グループホームについての会合。 そして、連合大阪でホームレスの問題についてのヒヤリング。 晩は、玉置衆議院議員の集会に出席させてもらった。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ホームレス問題については、私は民主党の「ホームレス問題対策 プロジェクトチーム」の事務局次長なので、お呼びがかかった。 先週、このプロジェクトチームは、厚生大臣にホームレス問題につ いての緊急申し入れをしたが、来年の通常国会では、超党派でホー ムレスについての、議員立法を目指している。 特に、大阪には1万人以上のホームレスの方がいる。 まず、就労と住まいの確保。 そして、必要な人には生活保護の適用。 ただし、甘すぎると「不公平」とまわりから批判が出てくる。 リストラの風が吹くなか、ホームレスの方たちに対する風当たりも 冷たい。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ それにしても、参ったのは私の知り合いからの一言。 「京都南部にはホームレスなんかほとんどおらんぞ。せっかく山井 さんを応援して当選してもらったんだから、もっと地元のためにな る仕事をしろ。地元で仕事を求めて困ってる人が多いんだから、 ホームレス問題なんか他の議員に任せとけ!」 確かに、どちらの問題がより深刻だとかは比較できません。 さらに、私の専門の高齢者福祉の仕事もたくさんあります。 すべて頑張りたいと思います。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 長くなりますが、私はもう1つ今日書きたいことがあります。 それは、私が福祉に関心をもったきっかけです。 以下は、メールマガジンの「付録」みたいなものですので、お時間 のある方だけお読みください。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 私は高校では勉強ばかりしていた「がり勉」の生徒でした。 高校3年の春、大学の入学試験が終わった日、帰り道にクラスメー トとボーリングに行ったことを今でも覚えています。 ボーリングのあと、クラスメートの家に集まり、数人で晩遅くまで 語り明かしました。 3年間、ガリ勉をしていた仲間の集まりでした。 一人が言いました。 「俺、最近すごく嬉しかったことあってん。高校3年間ほとんど会 ったことがなかった中学校の時の友だちが、道で声かけてくれてん。 俺3年間、勉強ばっかりして、中学の友だちともほとんど会ってな かったから、そんな俺を覚えてくれて、向こうから声かけてくれた んが、めっちゃくちゃ嬉しかってん」。 そして、彼は言った。 「高校3年間、さびしかった」。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 私の母校は、受験進学校。 そんな中でみんな大なり小なり、中学校までの友人との付き合いを 減らし、勉強してきた。 そんな似た境遇の仲間の集まりだったので、彼の話を聞いてみんな がうなずいた。 私も彼と全く同じ思いだった。 私は高校時代丸坊主だったこともあり、中学時代の友だちと会うの も格好悪かったが、それでも声をかけてもらえると無性に嬉しかっ た。 自分のことを覚えていてもらえる、山井和則という人間の存在を覚 えていてもらえること自体が嬉しかった。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 私も高校3年間を一言で言えば、「人恋しさ」であった。 勉強に明け暮れた3年間であったがゆえに、逆に、友だちのありが たみや、人間の温かさ、人間は人間の助けなしには生きて生けない ことを感じた。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ そんな中で、私はこの高校で人生を決定づける出会いを経験した。 それはある親友である。 ここでは、「彼」と書く。 彼と私は3年間同じクラス。 彼は、化学が強く、英語が苦手であった。 私は工学部化学科を志望していながら、一番化学が苦手で、英語が 逆に得意であった。 席がいつも隣であった彼には、いつも化学を教えてもらい、私は彼 に英語を教えた。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 彼こそが、私が人生の目標とする人物であった。 受験校であったせいか、高校3年ともなるとクラスの中で体調を壊 す友だちも出てきた。 入院しないまでも、しんどそうな顔で登校する友人も増えてきた。 私は恥ずかしながら、 「受験も近いから、他人のことなんか構ってられるか」と、利己的 に考え、弱っているクラスメートのことはあまり気にしなかった。 しかし、彼は違った。 弱ってしんどそうな顔をしているクラスメートに勉強を教えたり、 本当にやさしいのだ。 受験の日も迫り、自分自身が大学に通るかどうかわからないなかで、 人の世話ばかりして、「あほちゃうか」と、私は思った。 しかし、同時に彼は偉いなあ、真似できんなあ、とも思った。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 人間、自分に余裕があるときには、困っている人を手伝うことはできる。 しかし、自分自身が切羽詰ったときに、人の世話なんかできるだろ うか。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 私の高校は私が丸坊主であったことでもわかるように、仏教の高 校であったが、私から見れば、彼は、「生きる菩薩」であり、 「生きるキリスト」のようなやさしい人間であった。 私自身、彼から化学を親身に教わった。 小柄な彼であったが、クラスのみんなから好かれ、愛されていた。 地味だが、輝いた人間であった。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 受験が終わり、彼と私は幸運にも共に合格した。 しかし、私は入試が終わり、我に返り、それまでの自分を反省した。 自己嫌悪に陥った。自分の合格のためとはいえ、自分はまわりで困 っている友達にあまりにも冷たかったのではないか。 それに比べて彼は、いつも誰に対してもやさしく笑顔であった。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 彼のような人間になることはできないだろうが、せめて一歩でも 彼に近づきたい。 彼のように、自分が苦しい時にでもまわりにやさしくなれる人間に なりたい、そんな生き方がしたい。 それが私が福祉に関心を持ったきっかけだった。 そして、「人恋しさ」「寂しさ」を高校時代に経験したがゆえに、 「人間に接したい」「人間が好き」という性格になり、私は利己的 な自分を改造するために、私は大学に入学してすぐに、母子寮とい う児童福祉施設でのボランティア活動を始めることになった。 そして、その活動に熱中し、その延長線上に今日の私がある。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 今でも彼は私の人生の目標である。 しかし、残念ながら、彼はもうこの世にはいない。 偉人薄命というのだろうか。 私の心の中には、彼の生き方、彼の笑顔がずっと生き続けている。 やまのい和則 拝 |