禅定寺

禅定寺

 正しくは 白華補陀落山観音妙智院禅定寺(びゃくげほだらくさんかんのんみょうちいんぜんじょうじ)と称し、もとは天台宗の寺院でしたが、現在は曹洞宗です。
 創建は、東大寺の別当であった平崇上人が、正暦二年(991年)に私領の山野を卜定して、堂を建て、十一面観音像を安置したのに始まり、造営に五年の歳月を費やしたと伝えられています。
 鎌倉時代から室町、戦国時代になって、創建当時の伽藍は焼失し、江戸時代延宝八年(1680年)加賀の国大乗寺二十六代曹洞宗中興月舟宗胡禅師を迎えることによって復興しました。 月舟禅師は再興に大いに努力し、特に禅師に深く帰依していた加賀藩の家老・本多安房守政長の経済的援助を得て、諸堂を建立し、旧観に復する事に成功しました。その意味では月舟禅師こそが禅定寺中興開基の祖と仰がれる人で、禅師の名声は諸国に発せられ、ときの霊元天皇は当山に行幸され、勅願を下賜されました。
 宝物殿には、 十一面観音像をはじめ十体の仏像や、紙本墨書などの重要文化財が展示されています。

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