小川直の北欧留学記番外編2011


     


  2011年のゴールデンウイーク、我々はルンドの街にいました。
  なんでかって?

  もちろん我がボスシュラーに会いに行って錆びかけた
  ペースメーカーの手術の腕を研ぎすますため、
  最新の知識とスキルを体験習得するためです。

  でもそれだけじゃあありません、
  ルンド大学に約1年間留学していた愛娘みちるの帰国にあわせて
  我々もルンドをたずね、彼女と一緒に20年ぶりに
  懐かしいルンドの大好きな春を満喫したり、
  知人を訪ねたりしたいという目的もありました。
 
 


  20年前みちるが日本に帰ってきた時は3歳…
  当然と言えば当然ですがスウェーデンの生活の記憶はほとんどないわけで…。
  みちるは我々家族がどうしてスウェーデンがそんなに好きなのか
  十分理解できず、そんな埋めきれないギャップを埋める事も
  彼女の今回の留学の目的だったってことは彼女が出発してから知りました。
  我々が家族同様にして暮らしていた当時の大家さんの
  セベリン家のラトコ、アナにも今回は会えるはずです。
  みちるも毎週のようにラトコの家に行って夕食をごちそうになっていたので、
  我々もなつかしいユーゴスラビア料理を堪能できると期待していました。

       

  チョッと本題から外れますが、
  今回我々は関空からコペンへのSASの直行便がなくなったので
  ルフトハンザに乗りました。フランクフルト経由でコペンハーゲンに入ります。
  前回スウェーデンに行った時はフィンエアーでヘルシンキ経由でしたから
  また違うルートです。しかし…北欧に入るのにこのルートはちょっとつらいです。

  なんでかって?

  フライトは快適で揺れもなく、上々でしたよ。
  でもGPSで飛行機が今どこにいるのかを示すサービスがあるじゃないですか、
  ルフトハンザでは「航空ショー」って名前でしたがあれを見ていて気がつきました。
  もういい加減いやになった頃…ヘルシンキでした。

  ヘルシンキ上空を通過したルフトハンザ機はストックホルムの東側を通過し、
  コペンハーゲンの東も通過し約2時間も南下する訳です。
  我々の目的地を通過してどんどんすすむ訳です。
  腰も痛いし、足はむくむし、肩は痛いし。
  その後トランジットで接続便に乗り換えて
ようやくコペンに到着するのですが、本当に疲れます。
  北欧に入るのはやっぱりヘルシンキ経由かなと再確認した瞬間でした。

        

  ところでルンドの街は全然変わっていませんでした。
  ルンド大学のメインビルディングは今回はまるで「絵はがき」のように
  ルンドのお花モクレンが花盛りでとってもきれいでした。
  ドムシェルカンは例によって神々しく悠久の時を超えてたたずんでいました。
  5年やそこらで1000年の都は全く変わっていませんでした。 
 


   
  違っていたのは、大学病院のてっぺんにあった
  パラボラアンテナがなくなってヘリポートになっていた事かなあ?
  ボスシュラーとランチをする前にぶらぶら歩いていたら見つけました救急車。
  これがスウェーデンの救急車です。
  

 ランチはボスの運転でルンドの郊外のレストランでごちそうになりました。
 まだ菜の花の季節には少し早くスコーネ名物?の
 黄色い絨毯は見られませんでしたが、
 スウェーデンの春を感じる事ができました。
 
 


         


 大学病院では以前はメインビルの7階にあった
 ペースメーカーデパートメントは別棟にうつっていました。
 スーッと入って行ってワイワイボスと騒いでいたら、
 顔見知りの看護師さんがいました。
 思わずハグしてしまいました。
 名前も覚えていてくれて「タダーシ」って言ってくれました。
 正直私は名前は思い出せず…でも聞けないままでした。 
 


     この建物にはペースメーカーの歴史的資料が展示されています。
最古のペースメーカーやら、ICDやら、そして歴代の偉人やら…。
ふと見ると…我がボスシュラーの写真も展示されています。
思わず本人と写真と一緒に写真におさまってきました。


さて、肝心のペースメーカーの手術に関しては正直さしたる進歩はなく、
方法やテクニックは20年前と全くもって大きな変化はありません。
デバイスはそれ相当に進歩をしても、それはおまけ的アクセサリー部分であって
基本的性能は20年前と現在とほとんど変わりはありません。
手術の方法に関しても同様で変わりがない事を確認でき
私の知識やテクニックもまだまだ第一線でも通用するとホッとしました。

  最近は外来でのフォローアップは
  専門看護師さんが行っているようで、我々医師の出番はありません。
  でも、もしチェック中に心室細動(致死的な不整脈です)とか
  がおこったらどうするんでしょうねぇ。
  日本でもいろんな分野で専門看護師さんが登場し、
  話題になっていますが、
  スウェーデンの方がチョッと先にすすんでいるように思いました。
 
 

       

  昼の間、友人に会ったり街を散策したりする一方で、
  セベリン家へは毎夜おじゃましていました。
  毎回懐かしいユーゴスラビア料理、懐かしいデザート等で
  我々をもてなしてくれました。
  何度も食べた事のあるものがほとんどでしたが、
  舌って覚えているんですね∼ビックリでした。

  当時おいしいと思ったものはやっぱりおいしかった。
  サルマというサワークラフトで巻いた不思議なロールキャベツも
  グラーシュというパプリカ味のスープもパプリカッシュという
  パプリカ味のシチューもとってもおいしかった。
  クレンピタというクリームパイもパラチンケというクレープも
  チョコレートムースも最高でした。
 
 
     
しかし、とうとう旅の、そして留学の最後の日がきてしまいました。
「みちるをルンドに送ってくれてありがとう」
「とっても楽しい時間だった」
「次はいつくるんだ」「こんなに長いブランクはだめだよ」
「みちるのウエディングの時は日本に来てくれる」
なんて色々お互いに言いながらその夜は更けてゆきました。

みちるは一人のコリドーへ、我々はホテルへと送ってもらい
いよいよのお別れになりました。
5年前は本当にもういつ来れるか解らないという感傷で
涙があふれてきましたが、
今回はなぜかまたすぐに来れるような気がして、
それほど?涙はこぼれませんでした。

そして翌日、みちのコリドーを引き払い、
我々はスウェーデンから日本へもどってきました。


            


  みちるの留学に便乗してのルンドへの里帰り。
  短期間、短時間ではありますが、実際にルンドを訪ね、
  ペースメーカーデパートメントを見学したり、
  ボスや同僚と話をすると、
  当時のルンドでの自分の事や日本へ帰ってきて
  開業し始めた頃の自分のことをなつかしく熱く思い出し、
またこれからも頑張ろうとモチベーションを上げた私であります。