ひいなあそび…。
なんともやわらかく、やさしい響きのことばでしょうか。
「ひいな」とは「小さくてかわいいもの」と言う意味で、
平安朝の頃は広く人形のことを指していたようです。
〜もろともにひいな遊びし給う〜
と源氏物語にも残されているように、
とおく平安の世から人形遊びは親しまれて来たのです。
そもそも雛まつりとは、ひとがた(人形)に汚れや災いを
託してお祓いをする古代の「上巳の節句」が始まりとされ、
平安時代に「ひいなあそび」とひとつになった言われます。
お雛さまは単なる人形ではなく、幼な子のお守りであったのです。
雅やかでやさしい面影には、そんな人の世の
幸せへの祈りが脈々といきづいています。


美しく、優しく…。そして何よりもすこやかに育ってほしい…。
女の子に寄せるそんないは昔も今も変わることはありません。
産声を聞いたその日から、やがて嫁いでゆくであろう、
いえ、嫁いだその先までも幸多かれと祈りを込めて飾るお雛さま。
桃の節句はそんなやさしい日本人のこころが育ててきた
美しい習わしです。
十二単の襟元に、流れる黒髪のひと筋ひと筋に、
そしてふくよかなかんばせや蕾のような唇に、
輝きあふれる人生でありますようにと、
どこまでも深い愛情が偲ばれる玄祥作のお雛さま。
母から娘へ、娘からその子へ…。
いついつまでもいつくしまれるお雛さまです。


玄祥が京雛に寄せる深い思い入れ…。
それは親が子に注ぐ限りなくあたたかい愛情に
優るとも劣らないかもしれません。
雛人形をつくりあげる気の遠くなるような工程は、
まるで幼子を育てあげるのに似ているからです。
京の職人が思いの丈のすべてを注ぎ込んだ仕事…。
その下地と真心があればこそ、洗練されたモダンな感性が、
そして研ぎ澄まされた新しい創意が、はじめていかされるのです。
ひいなあそび。古都、京の千年の気品にあふれた格調高い風雅の世界に、
はじめて人形が甦るのです。
雅の中に、いま新しい感覚のみごとな昇華をみせて…。
玄祥作の雛人形です。